丹波黒の歴史

江戸時代中期 「川北黒大豆」の名で江戸幕府へ献上され、江戸中に広まったと考えられる
寛政11年(1799年) 「丹波国大絵図」に丹波黒が丹波国名産品として記載
江戸末期〜明治初期 日置村(現在の丹波篠山市日置)の豪農、波部六兵衛らが優良な丹波黒を選抜、「波部黒大豆」として栽培を奨励
明治時代 「波部黒大豆」が宮内省御用達品となり、より名声が高まる
昭和9年 「川北黒大豆」と「波部黒大豆」を統一して「丹波黒大豆」と命名
昭和16年 兵庫県農事試験場が「丹波黒大豆」を取り寄せて品種特性試験を実施し、「丹波黒」と命名して奨励品種に指定
昭和62年 兵庫県北部農業技術センターが「波部黒」から優良種子を選抜し、「兵系黒3号」と命名

史実から紐解く 丹波篠山の黒大豆

「料理網目調味抄」(享保15年(1730)):国立国会図書館所蔵

「料理網目調味抄」(享保15年(1730))
:国立国会図書館所蔵

享保15年(1730年)に出版された「料理網目調味抄」には、「くろ豆は丹州笹山名物なり」「黒豆 丹州笹山よし」と記されており、当時から丹波篠山の黒大豆が高く評価されていたと考えられます。

「弘化武鑑 4巻」(弘化3年(1846)):国立国会図書館所蔵

「弘化武鑑 4巻」(弘化3年(1846))
:国立国会図書館所蔵

弘化3年(1846年)と安政3年(1856年)には、篠山藩から特産品として黒大豆が献上されたことが記録に残されています。
※黒大豆のほか、山椒や松茸などの記載あり

PAGE TOP